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オールド活版印刷機でレタープレス、箔押し、エンボス、デボス、バーコ(盛上げ)、小口染めの印刷・加工をしている大阪の活版印刷所【なに活】です。
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2014年4月18日金曜日

カッパンと写真表現

忘れ去られた電子製版機
木版や銅版など、人の手による工芸的な手法に始まった挿絵や装飾の製版は、19世紀後半に写真術を取りいれて写真製版へと進化し、カラー化の次に向かったのが電子化の道でした。
1948年、原稿を電気的信号に変換し、版材に線や網点を彫刻するという電子製版機がアメリカで開発されました。
その後ドイツやスイスでも開発され、国産機も登場するなど技術改良も進みましたが、従来からの写真製版をしのぐ存在にはなり得ませんでした。
  大日本スクリーン製造が1963年に開発したオートグレーバー
(「印刷製本機械百年史」全日本印刷製本機械工業会1975年3月発行より引用)

その理由は、コストの問題だったのか、品質の問題だったのか、普及前に活版が衰退したのかは判りません。
いずれにしても、凸版の電子製版機としてこれ以上の発展はなく、これらの技術はスキャナーやグラビア(凹版)の製版機へと引き継がれていきました。

電子製版機に関する情報は印刷機や活字鋳造機に比べて極端に少なく、断片的な情報以外に詳しいことは不明です。
どのような版で、どんな印刷物が刷られたのか、実機とともにぜひこの目で確かめたいものです。
お心当たりの方がおられましたら、ぜひお知らせください。

電子製版機ではペン画から線画凸版を、カラー写真から原色版を製版できたはずですが、カラー写真から木口木版のような線画凸版も製版できるのだろうか・・・そんな事を妄想しながら画像ソフトで遊んでいたらお気に入りのパターンが出来あがりました。

まずは上の画像をグレースケールに変換し、通常のハーフトーン製版を画像ソフトで再現。
線数は用紙の種類によって変える必要がありますが、なに活は粗面紙がメインなので、よく使う100線で加工。さすがに粒状感が気になります。
モノクロ写真て、実はとても難しい。
ダブルトーン、トリプルトーンで階調表現を求めることもできるけど、製版のノウハウも必要。いずれチャレンジしたい課題です。
夕日ハーフトーン
拡大すると濃淡が網点の大きさで表現されているのが良くわかります。
dot
次に木版をイメージして画像加工の実験です。(モノクロ2値)
夕日エングレービング2
木版の挿絵のように見えますでしょうか。
eg
2色での表現。このパターン気に入りました。
夕日エングレービング4
スミと特色と紙白の組み合わせで濃淡を表現しています。
eg2
写真だけでなく、イラストの多色刷りにも応用できそうです。

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ハーフトーンのはじまり
19世紀後半のドイツやアメリカにおいて、写真技術をもとに色の濃淡を点の大小や線の粗密で再現する方法(ハーフトーン・プロセス)が確立されました。
それまで挿絵や装飾に用いられた板目木版、銅版(凹版)や木口木版にかわり、網目凸版(ハーフトーン)として活版印刷に用いられるようになり、写真を印刷で再現することが可能になりました。

フルカラー化
印刷物のカラー化は、当初、手彩色や手工的な製版に頼っていました。
1893年にアメリカで網目凸版(ハーフトーン)を用いた3色刷りのカラー印刷(原色版)に成功してから、写真製版によるカラー印刷が普及していきました。
製版技術や印刷インキが発展途上であった当時、製版後にも再腐蝕したり、胴張りを調整するなどして色の修正がしやすかった原色版(凸版)がカラー印刷の主役の座につきました。
それまで色刷りを得意としていた石版(平版)が、写真版を刷るには原色版の複写に頼るほかなく、品質、コストの面で勝負にならず、生産額はみるみる減少したといいます。

電子製版機の登場
1948年、アメリカのフェアチャイルド社がスキャナグレーバーという電子製版機を開発し、スイスのエルグラマ、ドイツのクリッショグラフという機械が続いて開発されました。
原稿を電気的信号に変換し、版材に線や網点を彫刻して製版する仕組みでしたが、原寸の製版しか出来なかったこともあり、普及が進まなかったそうです。
1959年に縮小、拡大ができ、写真版、原色版、線画凸版などが製版できるバリオクリッショグラフが開発され、それに匹敵する性能を持った国産のオートグレーバーという製版機が1963年に開発されました。

文字への回帰とその後
オフセット印刷の発明と製版技術の発展とともに原色版の優位性は薄れ、次第にオフセット(平版)やグラビア(凹版)にカラー印刷の役目を譲ることになりました。
活版印刷は文字を中心とした印刷方法として残りましたが、やがてそれもオフセット印刷に替わっていきました。

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